悪のライダーは依然としています。
仮面ライダーBlackにて出てくるシャドームーンもその11と言って良いでしょう。
シャドームーンは悪の内々結社であるゴルゴムの手によって改造人間にされました。
シャドームーンを作ったお目当てとしてはゴルゴムの首領の後継者としてなる事だったと言われています。
この時に同じ時に改造人間として改造されたのが仮面ライダーBlackの南光太郎になる訳です。
シャドームーンは秋月博士の息子である秋月信彦が改造された姿です。
秋月信彦は南光太郎と親友として育ってきた環境要素に存在したのに、1人は悪のライダー、1人は正義のライダーとして戦う事になる、かなり残忍な話ですのです。
でも悪のライダーだからこそのかっこよさも有ると言えます。
デザイン的に美しく創られており、性格はかなりクール、力強力にて一匹狼的な所も兼ね備えている。
影が有る所なんかも評判が出る理由になっているのではないでしょうか。
そして自分の運命なのか一瞬人格を取り戻すのですが、あくまでも悪の指導者としての立場で全うし、最後の最後まで仮面ライダーBlackと戦ったのが悪のライダーであるシャドームーンですのです。
こうした様に、悪のライダーにも過去が有る設定を負わせ、その人間模様を描き出しているのが仮面ライダーの特徴といっても良いでしょう。
物語性を持たせる事で、視聴者が惹きこまれやすくなっているのも、評判が長年続いた内々ですのではないかとおもいます。
そう言うゆえんでも悪のライダーは仮面ライダーにはなくてはならない存在なのかも知れません。
改造人間だって溢れる愛が有る
恋愛感情や信頼愛というのは人間だけに与えられた物かとおもうかも知れませんが、改造人間として人間ではなくなった仮面ライダー達にもきちんと愛は存在します。
仮面ライダー達は確かにボディーは改造されたかも知れませんが、脳改造までは行なわれる前に悪の組織から脱出している為、記憶や感情に関連しては人間の時の物を引き継いでいるのです。
ですので愛も持ち合わせているとおもいます。
愛には色んな部類の愛が有りますよね。
親が子供を想う愛、友人を慕う愛、動物をおもいやる愛等いっぱい有ります。
そのなかでも愛として早速に想像されるのが恋愛感情としての愛です。
仮面ライダー達は改造人間だけれども恋愛感情はちゃんと持っているのでどうしても過去の恋愛感情に戸惑ってしまいます。
結ばれたいけど自分は通例の人間ではない。
そのジレンマがまた悲しいですよね。
そうした悲しみも胸に秘めながら悪の内々結社と戦って、人々の平和の為、ワールドの平和の為に戦っているのです。
そう考えてみると、仮面ライダー達の愛って人間の愛を遥かに超越した愛だとおもいませんか?ちょっと話はそれますが、仮面ライダーに愛があれば結婚だって、子供を設ける事だって出来るかも知れないというのはおもわないでしょうか。
結婚するだけなら出来るとおもいますが、子供が造れるかどうかというのは疑問の事でしょう。
どんな風な改造のされ方をしたかで変わるとおもいますので。
まぁ架空の話ですので想像してみたら楽しいかも知れませんね。
でも仮面ライダー自体に愛は溢れんばっかりに有るという事は知っておきたい事だとおもいます。
仮面ライダーが付けているマフラーについて
初めの頃の仮面ライダーって「赤いーマフラー」って歌にも有る様に、マフラーをつけていたとおもうのです。
またよく考えてみるとマフラーって人間と等身大のヒーローの人達は結構着けていたとおもうのです。
そこで仮面ライダーのマフラーに対してちょっと考えてみたいとおもいます。
現実に、マフラーを着けているのが仮面ライダーとしての艶やかさなのかも知れませんが、似合わないという仮面ライダーもいるのはいますよね。
特に仮面ライダーアマゾンなんかは野生児というかトカゲがモチーフになっている仮面ライダーですので、現実にの所あまり似合ってなくてマフラーを着けていない方が自然でカッコいい感じがせずにもないです。
では何故マフラーを着けているのでしょうか。
デザイン的にカッコいいからでしょうか。
システムに何か有るのでしょうかと考えるのですが、設定上、マフラーは首から外してロープとして利用する事が出来るという事になっているやうです。
現実にに使用している姿はあまり見た事が有りませんが、デザイン的に仮面ライダーには赤いマフラーという様にマフラーをなびかせて戦っている姿は実にカッコいいとおもいますよ。
現実にの所、マフラーを首にする様になったのは設定がどうこうというと比べると、マスクとスーツを俳優さんが着る時にどうしても首元に隙間があいてしまうという問題が出来たからだやうです。
その隙間を隠そうとしてマフラーをしたのが初めだという話も有ります。
初めはちょっとした問題からシンボル的なマフラーが生まれたという事が分かりますよね。